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『尊卑分脈』に長兄頼光の次男頼家と同様の子の記載がある。 ^ 甥頼国の長男頼弘と同名であるが、同じく『分脈』の記述では子に為綱とあることから、上記頼綱の子「範弘(戸島蔵人)」と訛伝混同している可能性がある。 元木泰雄 『源満仲・頼光 殺生放逸 朝家の守護』 (ミネルヴァ書房、2004年) 藤原公定撰 「清和源氏(上)」『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』8
住吉大社に祈請した後に自らの命と換えて得た一首とはこの歌であったという(『袋草紙』『無名抄』『今鏡』)。 落葉如雨といふ心をよめる 木の葉ちる宿は聞き分くかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も — 『後拾遺和歌集』 巻第六 冬 382 父:源頼国(?-1058?) 母:藤原信理の娘 妻:不詳 男子:源頼季? 男子:暹圓
京中で騒ぎとなるが、『玉葉』に見えているこの記事の中で頼兼は九条院の非蔵人を務め五位となっていたことが確認でき、また頼兼の党等類が「美乃源氏頼光末葉」と称されていたことが記されている(同書同年6月29日条)。治承4年(1180年)5月の以仁王の挙兵における動向は詳らかでなく、寿永2年(1183年
小倉百人一首 うかりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを(『千載和歌集』恋二・707) 百人秀歌(小倉百人一首の原撰本) 山桜咲きそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸(『金葉和歌集』春・50) 百人秀歌と小倉百人一首の両方に採られている歌人で、異なる歌が採られているのは俊頼のみである。 家集『散木奇歌集』(さんぼくきかしゅう)