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を気入り、朕に皇女がいれば娶わせるところだが残念でならない。その代わりに国姓の『朱』を賜ろうと言う。それではいかにも畏れ多いと、鄭成功は決して朱姓を使おうとはせず、鄭姓を名乗ったが、以後人からは「国姓を賜った大身」という意味で「国姓爺」(「爺」は「御大」や「旦那」の意)と呼ばれるようになる。
正堂に鄭成功が祀られ、唐・宋・清の祖先と並んでいる。1771年の三圭世錫額と堂内の石柱に刻まれた「昭毅無雙開疆復土承天續、格思靡既迪後光前擘海祠」より、鄭氏開拓の功労と祖先を敬う心を彰顕している。 祖廟の外観 正殿の外観 正殿の中の鄭成功像 「三圭世錫」額 幼年鄭氏母子彫像
舜は顓頊(せんぎょく)の6代子孫とされる。母を早くに亡くして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。 堯は舜の人格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人
石碑と石像がある。海水浴場としてシャワーやトイレ等の施設がある。記念館から東へ約1.4km(徒歩約20分/自動車約5分)。駐車場あり。 鄭延平王慶誕芳跡 鄭成功をたたえる石碑。延平王とは南明の永暦帝が1655年に成功に贈った爵位のこと。この石碑は松浦家第35代の熈が京都の儒学者である朝川善庵に鄭将軍成功伝(全文5