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ISBN 978-4-7842-1344-3 P171-174 ^ 高橋[1999: 17] ^ 『古事談』第二,臣節道長内覧の宣旨を被る日、俊賢空寝の事 ^ 『小右記』長徳2年3月4日条 ^ 『小右記』長徳2年6月9日条 ^ 『小右記』長徳3年4月5日条 ^ 高橋[1999: 18] ^ 『小右記』長徳2年8月7日条
承暦4年(1080年)8月14日:参議に任ず。左兵衛督如元。 永保4年(1084年)正月19日:備中権守を兼ぬ。 応徳3年(1086年) 10月10日:著座。 11月20日:権中納言に任ず。 寛治2年(1088年)正月19日:従二位に叙す(行幸院別當賞)。 寛治3年(1089年) 正月28日:右衛門督に遷る。
東に勢力を伸ばすと、義賢は父の命により義朝に対抗すべく北関東へ下った。上野国多胡を領し、武蔵国の最大勢力である秩父重隆と結んでその娘をめとる。重隆の養君(やしないぎみ)として武蔵国比企郡大蔵(現在の埼玉県比企郡嵐山町)に館を構え、近隣国にまで勢力をのばす(なお、義賢は重隆の養子になったとする見方もあ
源 資賢(みなもと の すけかた)は、平安時代末期の公卿・雅楽家。宇多源氏、宮内卿・源有賢の長男。官位は正二位・権大納言。 宇多源氏は雅楽の家として郢曲・笛・和琴の名手を多く輩出していた。当初は、源倫子が藤原道長の正室だったため摂関家との関係が深かったが、有賢