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徐 世昌(じょ せいしょう)は、清末民初の政治家。第3代中華民国大総統。字は卜五、号は菊人、東海など。引退後は退耕堂とも称した。祖籍は河南省衛輝府汲県。 代々官僚を輩出する名家に生まれたが、徐世昌の父が早世したため家は零落した。徐世昌もまた科挙に及第し官僚となることを目指したが学費が無いため勉強の
建昌路(けんしょうろ)は、中国にかつて存在した路。大元ウルスの時代に現在の江西省撫州市南部一帯に設置された。治所は南城県で、大元ウルスの行政上は江西等処行中書省に属した。 華北の済南路とともに、チンギス・カンの弟のカチウンを始祖とするカチウン・ウルスの投下領であった。
する朝陽県の一部に凌南県が設置され、1937年(康徳4年)には凌源県と凌南県が合併し建昌県が設置されている。1940年(康徳7年)に廃止されたが、1945年(民国34年)に再設置された。 7鎮、20郷、1民族郷を管轄する。 鎮:建昌鎮、八家子鎮、喇嘛洞鎮、薬王廟鎮、湯神廟鎮、玲瓏塔鎮、大屯鎮
建昌府(けんしょうふ)は、中国にかつて存在した府。元末から民国初年にかけて、現在の江西省撫州市南東部に設置された。 979年(太平興国4年)、北宋により撫州南城県に建昌軍が置かれた。建昌軍は江南西路に属し、南城・南豊・新城・広昌の4県を管轄した。 1277年(至元14年)、元により建昌軍は建昌路総管