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撫養(むや)は、日本の地名、日本人の姓。 牟夜(733年)、「牟屋」(平城京時代)と書かれ、語源は不明。 撫養川 - 徳島県鳴門市を流れる吉野川水系の河川 撫養橋 - 同県同市の撫養川に架かる橋。または小鳴門海峡に架かる橋 撫養町 - 徳島県板野郡にあった自治体。現在の鳴門市撫養
旧吉野川上流部より分流し、鳴門市街地を通り小鳴門海峡に合流する感潮河川。 小鳴門海峡に面する河口付近の撫養港では、市街地の両岸を結ぶ文明橋付近の林崎港とともに、徳島藩政期には吉野川筋の内陸河川航路と海上航路の接点に位置する商港として栄えた。 明治中期以降は、撫養文明橋と徳島市の新町橋を結ぶ早船や巡航船の航路
撫養港(むやこう)は、徳島県鳴門市にある地方港湾。港湾管理者は徳島県。港則法の適用港である。統計法に基づく港湾調査規則では乙種港湾に分類されている。 徳島県の北東部に位置する港湾で、小鳴門海峡に面している。 古くは奈良時代に編纂された風土記に牟夜戸(むやのと)として記述があり、当時は阿波国・讃岐
(むや)とされている。室町時代には三好氏の城下町だったが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した。 江戸時代は斎田塩」の製塩業、塩・藍などの積み出し港として栄えた。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数