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3月30日:兼木工頭 寛弘9年(1012年) 正月27日?:右近衛中将。8月11日:兼丹波守、止木工頭 長和3年(1014年) 10月15日?:兼中宮亮(中宮:藤原妍子) 長和5年(1016年) 正月13日?:止丹波守 寛仁元年(1017年) 7月10日:卒去(右近衛中将正四位下) 『尊卑分脈』による。
源 雅実(みなもと の まさざね)は、平安時代後期の公卿。村上源氏、右大臣・源顕房の長男。官位は従一位・太政大臣。堀河天皇の外叔父。久我家の祖。 源氏初の太政大臣まで昇進したほか、舞楽や文学に長じた文化人としても名を残す。 治暦2年(1066年)に童殿上を許され、翌治暦3年(1067年)10月に後冷
正月30日:近江権守を兼ねる。 閏7月28日:治部卿を兼ねる。 応和2年(962年) 正月7日:従三位に昇叙。 日付不詳:近江権守を解任される。 応和3年(963年) 正月28日:播磨権守を兼ねる。 康保4年(967年) 日付不詳:播磨権守を解任される。 5月15日:左兵衛督を兼ねる。 康保5年(968年)
『とはずがたり』以外にそれを示す証拠はない。『とはずがたり』によれば、後深草院二条の母である近子(大納言典侍)は四条隆親の娘で、幼少の後深草天皇に新枕を授ける役であったが、何人かの公卿に「ぬしづかれて」最終的に雅忠の妻となったという。なお、妻大納言典侍は二条を生んだ翌年(1259年)に亡くなっている。