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甥の康宗王継鵬の在位中には左僕射・同平章事に任じられるが、王継鵬は猜忌心が強かったために身の危険を感じ、発狂者を装い自宅に軟禁されていた。通文4年(939年)、拱宸・控鶴軍使の朱文進・連重遇が叛乱を起こし王延羲を推戴し王継鵬を殺害したことにより、王延羲は威武軍節度使・閩国王を称し、王曦と改名、永隆と改元した。即位した景宗は後晋に奉表している。
⇒ ふっき(伏羲)
249年、曹叡の陵に詣でるため、帝のお伴として曹爽と曹羲達兄弟が揃って外出した隙を見計い、司馬懿がクーデターを起こした(高平陵の変)。このとき桓範は、曹真と同郷で曹爽達とも親しかったため、危険を冒して曹爽達の下に赴いた。『魏略』によると桓範は、曹爽達が帝を擁しており、桓範自らが食料を掌る大司農の地
常羲(じょうぎ)は、中国神話に登場する月の女神。羿(げい)の妻・嫦娥として同一人物を描かれる事もある。 『山海経』(せんがいきよう)の大荒西経より彼女は帝夋の妻の一人であり、月である12人の娘を生み、大荒の日月山で浴することが見える。 山海経 中国の神話(白川静/著、中公文庫) ISBN 978-4122041592