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律令制で, 内侍司の職員である尚侍(ナイシノカミ)・典侍(ナイシノスケ)・掌侍(ナイシノジヨウ)の総称。 本来は天皇の日常生活に供奉(グブ)する女官であるが, 平安中期には, 妃・夫人・嬪(ヒン)ら天皇の妾に代わる存在となり, また, 単に内侍といえば, 掌侍をさし, その筆頭者を勾当(コウトウノ)内侍と呼ぶようになる。
主殿の中に設けた警護の武士の詰め所。 うちざむらい。
弁内侍(べんのないし、正体字:辨內侍、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいんの べんのないし)とも呼ばれた。 1243年(寛元元年)8月、後嵯峨天皇の皇子久仁親王は生後
内侍司(ないしのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。令によって定められた後宮十二司の一つであり、女官のみによって構成される。 内侍司の女官は天皇に近侍し、奏請と伝宣(内侍宣)、宮中の礼式等を司った。天皇の秘書役とも言うべき重要な役職で、学問・礼法に通じた有能な女性が多く任命されたようである。