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寧波府(ねいはふ)は、中国にかつて存在した府。明代から民国初年にかけて、現在の浙江省寧波市一帯に設置された。 1381年(洪武14年)、明により明州府は寧波府と改称された。寧波府は浙江省に属し、鄞・奉化・慈谿・定海・象山の5県を管轄した。 清のとき、寧波府は浙江省に属し、鄞・奉化・慈谿・鎮海・象山
1279年(至元16年)、元のとき、建寧府は建寧路と改められた。建寧路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した。 1368年(洪武元年)、明により建寧路は建寧府と改められた。建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和・寿寧の8県を管轄した。 清のとき、建寧
録事司と宣城・南陵・涇・寧国・旌徳・太平の6県を管轄した。1357年、朱元璋により寧国路は寧国府と改められた。1361年、寧国府は宣城府と改称された。1366年、宣城府は宣州府と改称された。1367年、宣州府は寧国府と改称された。 明のとき、寧国府は南直隷に属し、宣城・南陵・涇・寧国・旌徳・太平の6県を管轄した。
東寧府(とうねい-ふ)は、元が平壌に設置した植民地。双城総管府と共に高麗に対する支配の拠点とされた。 1269年(至元6年)10月、崔坦、韓慎、李延齢、桂文庇、玄孝哲ら親元派が反元派である林衍の排除を口実に反乱を起こし高麗北西部の府、州、県、鎮60城を以って元朝に降伏した。翌年元朝は旧西府に東寧