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建安16年(211年)に西郷侯に封じられたが、子もなく、早逝した。建安20年(215年)、甥の曹賛が爵位と領地を継いだが、彼も早逝した。 魏の曹丕の時代に入り、曹賛の弟の曹壹がまた跡を継いだ。曹壹は黄初2年(221年)に済陽侯、黄初4年(223年)に済陽公となった。
曹 翕(そう きゅう、生没年不明)は、中国三国時代から西晋にかけての人物。魏の皇族。祖父は曹操。父は曹徽。子は曹琨。 正始3年(242年)、父の東平王曹徽が没し、後を継いだ。景初・正元・景元年間に何度も加増を受け、計3400戸を領した。 西晋の時代に入ると廩丘公となり、魏の宗室の中では曹志に次ぐ名
しまった。鮑勛の刑死から20日後の5月17日に曹丕が病死したため、鮑勛を悼まない者はいなかったという。 その一方で、同じく曹操の功臣辛毗とは仲が良く、彼の諫言については反発せずに逆に聞き入れる事が多かった。なお、曹丕が太子になった際には辛毗に対して喜びの余り肩に抱きついて浮かれすぎるほど喜ぶなど、
曹 芳(そう ほう)は、三国時代の魏の第3代皇帝。 少帝芳、廃帝芳、斉王芳とも称される。 先代の曹叡の子が相次いで夭折したために、親族の秦王曹詢と曹芳の兄弟を養子に迎えて、皇太子候補として養育していた。だが、その経歴ははっきりと判明していない。 青龍3年(235年)、斉王に封ぜられた。景初2年(2