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父の王羲之が都の建康に出る時、王羲之は壁に文字を書いていた。これを王献之は綺麗に拭き取って、これを書き換え、心密かに父より上手いと思って悦にいっていた。やがて、建康から帰ってきた王羲之が、ふと壁の文字を見て、先日、都へ出かける時は、よほど酒に
落書きを見つけて削ってしまい、後でこれに気付いた門人は、何日もふさぎ込んでいたという。 またある日のこと、羲之が町の中を歩いていると、一人の老婆が扇を売っており、彼は売っている扇の何本かに五文字ずつ字を書いたところ、老婆はどうしてくれると色をなして詰った。すると彼は「『これは王羲之という人が書い
弘之(おう こうし、365年 - 427年)は、東晋から南朝宋にかけての隠者。字は方平。本貫は琅邪郡臨沂県。 上虞県令の王随之(王廙の子の王耆之の子)の子として生まれた。幼くして父を失い、母方の祖父の何準に養育された。東晋の隆安年間、琅邪王司馬徳文の下で中軍参軍となり、司徒主簿に転じた。烏程県令の任を猟官
なさる事はできませんと言って諫めた。そこで簡文帝は遺詔の内容を改めることとした。 寧康元年(373年)、桓温が死去すると、坦之は謝安とともに孝武帝を輔弼し、中書令となり、丹陽尹を兼ねた。寧康2年(374年)2月、都督徐兗青三州諸軍事・北中郎将・徐兗二州刺史に任じられ、広陵に駐屯することとな