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。これに対して第3代藩主・井上正辰は領民に重税を課したため、宝暦9年7月に農民による愁訴事件が起こり、それが幕府にも知られて治世不良のために出仕を拒まれることになるほどであった。その後は領内で洪水・旱魃が起こるなど治世は多難を極めた。このため明和年間より倹約や治水工事などが行なわれたが、あまり効果は無かった。
館林藩(たてばやしはん)は、上野邑楽郡にあった藩。石高は、短い一時期を除いておおむね5万石から11万石の中藩で、御両典のひとつとして御三家に継ぐ高い家格を持った徳川綱吉とその子・徳松の時代は例外的に25万石だった。1845年、井上正春が転封となり、秋元志朝が6万石で入封、それ以後1871年の廃藩まで秋元家が藩主として続いた。藩庁は館林城(現在の群馬県館林市城町)。
館山藩(たてやまはん)は、安房国に存在した藩。藩庁は館山城・館山陣屋(現在の千葉県館山市城山)に置かれた。江戸時代初期、戦国大名を出自とする里見家を藩主として安房一国を統治していた時期と、江戸時代後期に稲葉家を藩主とする譜代の小藩であった時期の2つに分かれる。
下館、下舘(しもやかた、しもだて) (しもやかた)日本の中世以前の城の形態である山城の麓に設けられた居館。 地名(しもだて) 下館市 - かつて茨城県西部にあった市。2005年3月28日、真壁郡関城町、明野町、協和町と合併して、筑西市(ちくせいし)となった。 下館駅 下館藩 下館城 日本人の姓の一つ。