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、慶安2年(1649年)8月12日、播磨山崎藩より松平(松井)康映が5万石で入封する。その後、5代にわたって在封したが、その際の1716年には春定用捨(はるさだめようしゃ)訴願騒動と呼ばれる農民蜂起が発生し、また1724年には奥女中から起こった内紛「鏡山事件」が起きている。第5代藩主・松平康福時
小浜藩(おばまはん)は、若狭国一国および近江高島郡の一部、越前敦賀郡を領した藩。藩庁は小浜城。 戦国時代後期から安土桃山時代、若狭は丹羽長重、次いで浅野長政が領していた。そして関ヶ原の戦い前には、木下勝俊兄弟が入った。木下勝俊は若狭の内、遠敷郡・三方郡で6万5000石を領した。大飯郡2万石(高浜藩)
移した。 さらに家康が小田原征伐後に武蔵に移封されると、浜松城には豊臣氏の重臣・堀尾吉晴が12万石で入る。慶長4年(1599年)に吉晴は隠居し、子の堀尾忠氏が城主となった。忠氏は慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いで武功を挙げたことから、11月に出雲富田藩(後の松江藩)に加増移封された。
(領土・石高など)規模の大きな藩。