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で話し合いができた。しかし、この小規模な堰では収支が償わないので、起工を思いとどまった。 嘉永年代(1848年 ~1854年)に、次代の波多腰六左衛門らの同志が、木曽谷に流れる笹川の水を、鳥居峠をまわして奈川へ落とすことを考え、松本藩に出願した。しかし、木曽は親藩且つ大藩の尾張藩領で
1679年(延宝7年) - 現在の堰のかたちに改修。 1796年(寛政8年) - 8月、渇水となったので奈良井川からの水揚げを要請。 1937年(昭和12年)頃 - 勘左衛門堰の改良工事の時契約をして同堰から毎秒7立方米の水量を新田堰の水門へ引くことになる。(東沢線:1200m) 安曇野市豊科字成相 安曇野市豊科字新田
堰(せき)は一般に、水をせき止めて用水を取り入れる目的で河川や湖沼に設けられる構造物や、水路の水位・流量を調節するために造った構造物を指す。また、そこから取り入れた用水を流すために人工的に造った用水路のことを言い、この場合にはせぎと読む。和田堰もその1つである。 アルピコ交通(通称・松本電鉄)上高地線とは、分岐した水
いせき(堰)に同じ。