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和珥日抓(わにのひつめ、生没年不明)は、古墳時代の豪族で和珥臣の本宗。姓は臣。日爪臣、丸邇日爪臣、春日日爪臣、春日日爪など様々な異称、異称表記があり、娘は『記紀』に仁賢天皇妃の糠君娘(糠若子郎女)や欽明天皇妃の糠子(糠子郎女)として見えるが、欽明記・紀の記事は仁賢記・紀の訛伝と見られる。 飛鳥時代以前の人物一覧
和珥深目(わに の ふかめ、生没年不明)は、古墳時代の豪族。姓は臣。深目臣とも表記され、春日和珥深目という複姓も見られる(後述)。 父は『古事記』に見える丸邇之佐都紀(米餅搗大臣命の子)で、妹の袁杼比売は同書雄略天皇記で、雄略天皇との応答歌の記事が見える。娘の童女君はもと采女で、雄略天皇と一夜を共に
李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 - 1584年)は、李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユㇽゴㇰ)、字は叔献(しゅくけん、スッコン)。本貫は徳水李氏。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕えていたが、政争や貧困が蔓延して国防が疎か
奈良時代の和気広虫(出家して法均尼と号する)と弟・清麻呂が僧道鏡に対する宇佐八幡宮神託に関する事件で功があって朝廷に進出し、藤野別真人から和気朝臣の氏姓が与えられた。清麻呂の子・広世らは学者として朝廷に仕え、広世は和気氏出身者のための大学別曹の弘文院を設置している。