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父・隆国は藤原頼通の側近として東宮時代の後三条天皇に甚だ無礼であった。そのため、即位後の後三条天皇は隆国の子息達を罪科に当てようと考えていた。しかし、長男・隆俊や次男・隆綱は共にその才能を愛され、天皇の近習として重用された。そこで天皇は三男の俊明にこそ鬱憤を
源 高明(みなもと の たかあきら)は、平安時代中期の公卿。醍醐天皇の第十皇子。官位は正二位・左大臣。 一世源氏の尊貴な身分に加えて学問に優れ朝儀にも通じており、また実力者藤原師輔やその娘の中宮・安子の後援も得て、朝廷で重んじられた。師輔・安子の死後、藤原氏に忌まれて安和の変で失脚し、政界から退い
漢詩に優れ詩境には無限上手なりと評された。『扶桑集』『本朝文粋』『類聚句題抄』『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『作文大體』『和漢兼作集』などに数十首の漢詩作品が採録されている。家集『源氏小草』(全五巻)があったとされるが伝わらない。不遇の詩人橘在列と親交があった。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品1首が入集している。 時期不詳:従四位下。侍従
天永2年(1111年)正月の除目で下野守に任ぜられ同国に下向。しかし、同年主君である藤原忠実の命令で美濃国の荘園に赴いた際に道中で無礼者を咎めたことに端を発する私闘を展開し、信濃守・橘広房、源為義の郎党など計3人を殺害した後に帰京した。これが種々の大祭を控えた京中に死穢を拡散したと