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本陣寺村家の家紋は五段梯子(はしご)であるが、『綱要日本紋章学』(昭和52年)[要ページ番号]によれば、「土佐山内氏家臣寺村氏が、梯子を用ひて天正十八年山中城に乗り込んだ武功を紀念するために用ひた」のが梯子紋の歴史上の登場とされている。
小寺氏(こでらし)は、日本の武家氏族の一つ。 播磨の守護大名・赤松氏一門宇野氏の庶流であり、姫路城のち御着城を本拠として勢力を伸ばした。 小寺氏は、赤松氏の祖である赤松頼範の四男将則を遠祖として、将則の曾孫宇野頼定(うのよりさだ)の次男頼季(よりすえ)が小寺氏を称したと伝えられている。一説に小寺氏は
頼み込んで、橘公業からほとんど横領に近い形で獲得し、自己の荘園とした。かつては、幕府滅亡から南北朝分立に至る動乱と西園寺宗家断絶の混乱の中で、公経の昆孫にあたる公良が、永和2年(1376年)に年貢収入の安定化を図って宇和郡に入り、在地の土豪を支配下に組み入
友山の子孫は福井藩士となり、江戸留守居役などを勤めた。 直繁以降、この系は孫九郎を名乗っている。この「孫九郎」は、政繁以前から大道寺氏当主の名乗りであり、諸藩の分家は名乗らない。 尾張藩に仕えた大道寺氏は、大道寺政繁の次男大道寺