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山名は昔、甲州の役人として赴任した従四位凡河内躬恒が登って四位山の名がついたとされる。4ヶ村の堺の山という意味かと思われる。決して高い山ではないが、麓との比高は1000mを超えているためかなり大きな立派な山に見える。堂々たる山容をしており、古来ご神体としてあがめられてきたという。登山道は南側の奥山温泉から
二の丸御殿大書院は丹波篠山市立篠山小学校(当時:篠山尋常小学校)の校舎として、1910年(明治43年)からは多紀郡公会堂として利用されていた。 1912年(明治45年)から1922年(大正11年) - 二の丸に郡立高等女学校があった。 1944年(昭和19年)1月6日 - 失火により大書院が焼失。
この当時の藩政では、藩内の産業は稲作以外に見るべきものがなかったために藩財政も領民も困窮し、領民の中には近隣の京・大阪に出稼ぎに出る者やそのまま戻らない者も少なくなかった。青山氏はこうした人口流出(耕作労働力の低下)を恐れて出稼ぎを制限し、さらに財政再建のために徴税の強化や新税の制定を頻繁に行ったことなどから、明和8年(1
篠山川(ささやまがわ)は、加古川水系の支流で、兵庫県中部を流れる一級河川。 ヴュルム氷期までは、篠山盆地より上流は武庫川水系だったが、河川争奪の結果、川代渓谷を経て加古川に合流するようになったとされる。 2006年8月には篠山川河床の篠山層群から、ティタノサウルス形類と推測される恐竜丹波竜の化石が発掘された。