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城主の留守中, 城を守る人。
天智天皇3年(664年):対馬島・壱岐島・筑紫国などに防人と烽(とぶひ)を配備し、筑紫国に水城を築く。 天智天皇4年(665年):長門国に城を築き、筑紫国に大野城と基肄城を築く。 天智天皇6年(667年):大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城を築く。この年、中大兄皇子は、大津に遷都し、翌年の正月に天智天皇となる。
畠山高政は永禄8年(1565年)に足利義輝が永禄の変で殺されたのを機に、家督を弟の畠山秋高に譲って自らは足利義昭の将軍擁立に奔走していた事もあり、当然義昭・信長派であった。こうして河内半国守護は義昭・信長に認められ、秋高は高屋城に復帰した。しかし、義昭と信長が仲違いする元亀4年(1573年)、秋高
は七百余名と共に篭城。2週間の間頑強に抵抗したものの、各出城や砦が次々と陥落、虚空蔵砦を守備する福田民部少輔も討死するに及んだ。また、城主紹運も自ら薙刀を取り敵中に入ったが力尽き、敵陣に矢止めを乞うたのち高櫓の上に登り自害。残された将兵もあとを追い玉砕、天正14年7月27日落城。