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の大臣を輩出した。顕房の娘・賢子が産んだ堀河天皇の治世では、左右大臣、左右大将、源氏同時に相並ぶ例、未だ此の事あらず、「近代公卿廿四人、源氏の人半ばを過ぎるか、未だ此の如き事あらんか」とあるように天皇の外戚として隆盛を極めた。源顕房長男・源雅実は源氏として初めて太政大臣となる。その後、天皇の
この時期の村上氏は、信濃では北朝方、瀬戸内海では南朝方として活動していたことになる。畿内では村上貞頼が正平10年(1355年)に平等院の末寺善縁寺の下司職を務め、その子孫の村上正貞が幕府の推挙で鎌倉府の寺奉行を務めている。 村上信貞の後は、その子村上師国、そして師国の子村上満信と系譜がつなが
孫左衛門 久芳 久方 久休 久美 親矩 ┣━━┳━━┳━━┓ 久封 親庸 貫峰 親戴 ┃ 久昭 注)太字は本家、━は実子、=は養子。 8代当主の朝久は忠塞の次男、忠豊(*)。
- 重満 - 行義 -(浦上)行景 - 広景 - 行宗 - 貞宗 - 則宗 - 宗助 - 村宗 則宗の父については諸説ある。 浦上則宗 浦上村宗 浦上宗景 - 村宗の次男。 浦上成宗 浦上政宗 - 村宗の長男。 浦上清宗 浦上誠宗 浦上直宗 浦上国秀 浦上玉堂 浦上春琴 島村盛実 中山勝政 宇喜多能家