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山郡が分割され、恒州が置かれた。 隋初には、恒州は2郡5県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、恒州の属郡の常山郡と蒲吾郡が廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、恒州は恒山郡と改称され、下部に8県を管轄した。613年(大業9年)、恒山郡は廃止され、高陽郡
と改められた。永平路は中書省に属し、4県1州州領2県を管轄した。 1369年(洪武2年)、明により永平路は平灤府と改められた。1371年(洪武4年)、平灤府は永平府と改称された。永平府は北直隷に属し、1州5県を管轄した。 清のとき、永平府は直隷省に属し、1州6県を管轄した。 ^ 『隋書』地理志中 ^
臨済寺(りんざいじ)は、中華人民共和国河北省石家荘市正定県に有る臨済宗の寺である。臨済義玄がここで臨済宗を開いた。 中国の南北朝時代の東魏の孝静帝の興和2年(540年)に建立された。その旧址には臨済院旧址紀念碑が立っている。 唐の時代、宣宗皇帝の大中8年(854年)に臨済義玄がこの寺に入った。
保安州(ほあんしゅう)は、中国にかつて存在した州。元代から民国初年にかけて、現在の河北省張家口市南東部に設置された。 822年(長慶2年)、唐により永興県に新州が置かれた。新州は河北道に属し、永興・礬山・竜門・懐安の4県を管轄した。 924年(同光2年)、後唐により新州は威塞軍と改められた。