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第41巻第1・2合併号日露戦争(2)戦いの諸相と遺産(2005年6月) 第42巻第3・4合併号「PKOの史的検証」(2007年3月) 第43巻第3・4合併号「日中戦争再論」(2008年3月) その他に旧日本軍関係の資料翻刻を進めており、『大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌(上・下巻)』『大本営陸軍部作戦部長宮崎周一中
と東部戦線を同時に自ら抱えたドイツに対して枢軸国の足並みは揃わず、援軍を送るか送らないかで分かれる事になった。 ムッソリーニは青年時代にスイス亡命中のレーニンから政治理論を学ぶなど、ソビエト連邦やソ連型社会主義(広義の国家社会主義)に好意的な部分があり、バルバロッサ作戦発動をドイツから連絡されたの
東京湾第三海堡の建設経緯について『軍事史学』39巻2号(2003年) 「防衛研究所所蔵の日露戦争関連史料」『軍事史学』40巻2・3合併号(2004年) 「歩兵中心の白兵主義の形成」『軍事史学』41巻1・2合併号(2005年) 「日露戦争における本土防衛」『明治聖徳記念学会紀要』42号(2005年)
度で普及はしなかった。当時の大砲の砲弾は実体弾であり、運搬の困難を考えるとメリットが少なかったためと考えられる。火薬を使用した武器としては、他に焙烙玉(焙烙火矢)という大型手榴弾があり、主に船戦や城攻めで使用された。また戦国末期には棒火矢というロケット弾が発明され、島原の乱では反乱軍側が使用したとの説もある。