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神仏などを深くうやまいつつしむさま。
また『隋書』経籍志によると『通俗文』という字書の著者とされるが、顔之推は服虔が作者かどうか疑わしいとしている。『通俗文』は他の書の引用以外現存しない。 ^ 『顔氏家訓』書証『通俗文』世間題云「河南服虔字子慎造。虔既是漢人、其叙乃引蘇林・張揖。蘇林・張揖皆是魏人。且鄭玄以前、全不解反語、通俗反音、甚会近俗。(後略)」 范曄『後漢書』列伝69下儒林伝下
官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無しと詠まれている。杜甫・李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。 その画について、王維・畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』に
虔州(けんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から南宋にかけて、現在の江西省贛州市一帯に設置された。 589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、南康郡が廃止されて、虔州が置かれた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、虔州は南康郡と改称された。