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天正8年(1580年)、父・郷氏は兄・友郷と共に主君・織田信長に反旗を翻し、天正9年(1581年)6月に誅伐される。幼少の可氏は母と共に叔父・山内一豊を頼って本巣郡岩手に幽居する。天正13年(1585年)8月、一豊が再度近江国長浜城主となると、長浜に赴いて扶助を受け、山内姓を拝する。
山内侯爵家は資産運用をうまくやり、大正末から昭和初期、実業家たちの発展に押されて旧大名華族は相対的に没落し、金満家大番付から旧大名華族の名前が徐々に消えていく時世の中でも前田侯爵家や鍋島侯爵家と並んで番付に名前を残し続けた家だった。 山内侯爵家の邸宅は東京市渋谷区代々木山谷町にあった。
石見守、小座敷衆。博多代官。 飯田長秀 飯田秀範 飯田貞家 … 大炊助、安芸守。奉行人(『掟書』77)。殿中奉行(『正任記』14日条)。 大庭氏 大庭賢兼 … 図書允、小奉行。 貫氏 貫武助 貫春助 貫興祐 貫隆助 門司氏 宗像氏 宗像正氏(黒川隆尚) 宗像氏男(黒川隆像) … 小座敷衆。 宗像氏貞
その後、宗勝の次男内藤如安が家督を継ぎ、元亀4年(1573年)の足利義昭と織田信長の決戦の際、丹波国人の宇津頼重とともに京都に出陣し織田信長と戦っている(槇島城の戦い)。天正3年(1575年)6月には織田信長は、内藤氏や宇津氏討伐の兵を挙げ、同年10月の黒井城の戦いで今度は明智光秀が赤井直正に破れたものの、如安