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県と随州に属する随・応山の2県、合わせて1州6県を管轄した。 1376年(洪武9年)、明により徳安府は徳安州に降格した。1380年(洪武13年)、徳安州は徳安府にもどされた。徳安府は湖広省に属し、直属の安陸・孝感・雲夢・応城の4県と随州に属する応山県、合わせて1州5県を管轄した。 清のとき、徳安
彰徳府(しょうとくふ)は、中国にかつて存在した府。金代から民国初年にかけて、現在の河南省安陽市一帯に設置された。 1192年(明昌3年)、金により相州が彰徳府に昇格した。彰徳府は河北西路に属し、安陽・湯陰・臨漳・林慮・輔巌の5県と天禧・永和・豊楽・鶴壁・鄴の5鎮を管轄した。
した。常徳府は荊湖北路に属し、武陵・桃源・竜陽・沅江の4県を管轄した。 1275年(至元12年)、元により常徳府に安撫司が置かれた。1277年(至元14年)、常徳府安撫司は常徳路総管府と改められた。常徳路は湖広等処行中書省に属し、録事司と武陵県と桃源州と竜陽州に属する沅江県の1司1県2州州領1県を管
徳川綱豊(家宣)(徳川将軍家の世子に迎えられたため断絶) 斉藤司甲府藩主徳川綱重・綱豊の政治『山梨県史通史編3近世1』第一章第三節 ^ 宗家と同じく甲府宰相家も使用三つ葉葵の項目参照 ^ 『大猷院殿御実記』。 ^ 深井雅海「甲斐国における旗本領の上地について」『徳川林政史研究所紀要』昭和50年度。 ^