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かねずみ)は、平安時代中期の貴族・歌人。初名は兼隆。光孝源氏、右大弁・源公忠の孫。鎮守府将軍・源信孝の子。 東宮・師貞親王(のち花山天皇)の東宮帯刀を務める。 一条朝にて陪膳を務め、永延2年(988年)には六位蔵人に左衛門尉検非違使尉を帯びていた。式部丞を経て、永延3年(989年)従五位下に叙爵する。のち、若狭守・加賀守
10月4日:中宮権大夫、亮如元 天慶9年(946年) 4月28日:正四位下(前坊亮)。7月17日:兼左京権大夫。9月16日:右京権大夫(左京大夫玉淵依有従父兄忌也) 天暦5年(951年) 正月30日:近江権守 天暦8年(954年) 3月14日:参議 天暦9年(955年) 2月7日:兼備前権守。参議如元 天暦10年(956年)
源 兼昌(みなもと の かねまさ)は、平安時代後期の貴族・歌人。宇多源氏、美濃介・源俊輔の子。官位は従五位下・皇后宮少進。 官位には恵まれず従五位下・皇后宮少進に至るが、その後出家。没年については不詳であるが大治3年(1128年)頃には生存していたようである。康和2年(1100年)の国信卿家歌合以下
伊予守の任期が満了して京に戻ると、伊予の諸郡の郡吏らが上洛して、兼資の治能をもって重任を請ったという。伊予守在任中に左馬権頭を兼ねている。 長保4年(1002年)7月の末から寝食が通常を失い、左馬権頭の辞職を請って許される。8月6日の辰刻に出家し、同日の巳刻に卒去。享年43。最終官位は前左馬権頭正四位下。