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脇城(わきじょう)は、徳島県美馬市脇町大字脇町にあった日本の城。阿波九城の一つ。別名虎伏城。 戦国時代に脇権守という人物が館を構えたのが始まりであると云われている。 天文2年(1533年)、三好長慶が築城し、三河守兼則が守護した。当時は、西にあった岩倉城と合わせて阿波の西部を守る体制をとっており、
が本丸跡と推定される。山上の曲輪を囲むように掘られた畝状竪堀がこの城の特徴で、地元では臼の目堀と呼んでいる。ほとんどは現状の深さ2-3メートル、底幅2メートル、長さ10-40メートルで、その内2本が山麓まで達する。南側は尾根続きのため土塁や堀切を設けている。二の丸の西北に湧水があり、城の飲料水だったと考えられる。
合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に支障が生じた場合に利用された。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。 規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が務めた。
: 寒風山 出羽国秋田郡腋本村として成立。 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、脇本村、田谷沢村、富永村、浦田村、樽沢村、百川村の区域をもって発足。 1949年(昭和24年)6月27日 - 海岸に漂着した機雷が爆発。死亡8人、重軽傷4人、家屋全壊10戸の被害。 1954年(昭和29年)3月31日