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臧 質(ぞう しつ、隆安4年(400年) - 孝建元年6月3日(454年7月13日))は、南朝宋の軍人。字は含文。本貫は東莞郡莒県。 臧熹の子として生まれた。若くして鷹や犬を好み、双六博打を得意とした。20歳にならないうちに、劉義符の下で世子中軍行参軍をつとめ
捕えさせたが、会ってみたところ臧覇を気に入ったため、臧覇に命じて孫観らを自らの元に招かせようとした。臧覇が彼らに促すと皆帰順し、太守や国相として取り立てられた。臧覇も琅邪国相に任命され、青州・徐州の統治を実質的に委託された。 かつて曹操配下の将軍であった徐翕・毛暉は、兗州で呂布を担いで反乱を起こし
一度は許昭らを打ち破ったものの、また賊は再起した。 熹平二年(173年)、会稽太守の尹端が賊に破れた。臧旻は尹端を棄市に処すよう劾奏したが、会稽郡主簿の朱儁に上奏文の内容を書き換えられた。 熹平三年(174年)冬、臧旻は陳寅を率いて盗賊の苴康を打ち破り、11月には会稽で許昭らを撃
漢晋陽秋』を引いて配食に反対し、その意見は容れられた。 ほどなく官を去り、弟の臧熹とともに農耕を生業として老母を養った。父母が亡くなると、合わせて6年のあいだ喪に服して、体を痩せ細らせた。喪が明けると、臨沂県令に任じられた。元興3年(404年)、劉裕らが桓玄を打倒するために起兵すると、臧燾は太学博