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尊氏に従って歴戦功あり、その鎮西にあり豊後鞴浜に戦いて天龍寺を落とす時に従軍す 正平七年 師義 尊氏に従って畠山国清を討ち播磨小清水雀松原等諸々に戦ふ 尊氏利非ず攝津松岡城に走る 敵復り攻む、師義拒戦して死す 尊氏其の子孫を遇するに特に厚し、 国安、高柿、松平、小田野、小里郷陸奥依上保等を與ふとある。大内政之介著『山入一揆と佐竹氏』(筑波書林、1991年)5頁参照。
遠藤巌雄勝郡地頭小野寺氏秋田県文化財保護協会『出羽路』92、1988年 遠藤巌「戦国大名小野寺氏」『秋大史学』34、1988年 遠藤巌「中世期の出羽国平鹿郡の領主と領域」『宮城教育大学紀要』34、1998年 佐藤一幸「戦国末期雄勝郡西馬音内領の構造」『秋大史学』37、1991年 伊藤清郎・山口博之編『中世出羽の領主と城館』高志書院、2002年(平成4年)2月
で仕えることとなった。15歳の頼房はこのような武功の人材は広く他国に求めたいと思っていたのに、まさか我が藩領にこのような人材がいるとは思わず、これは幸いである。逆に、このような人材を他国に流出させてはならぬ。と言ったと伝わる。昭通は名を照通と変え、子孫は以降は水戸藩士となった。
小寺氏(こでらし)は、日本の武家氏族の一つ。 播磨の守護大名・赤松氏一門宇野氏の庶流であり、姫路城のち御着城を本拠として勢力を伸ばした。 小寺氏は、赤松氏の祖である赤松頼範の四男将則を遠祖として、将則の曾孫宇野頼定(うのよりさだ)の次男頼季(よりすえ)が小寺氏を称したと伝えられている。一説に小寺氏は