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弘光帝(こうこうてい)は、南明の初代皇帝。諱は由崧(ゆうすう)。廟号は安宗(あんそう)。日本では在位中の元号弘光を取って弘光帝と呼ぶのが一般的。 福王朱常洵(万暦帝の三男)の長男。万暦45年(1617年)に徳昌郡王に封じられ、後に福王世子に立てられる。 崇禎14年(1641年)、李自成が洛陽を攻撃し
こともあったが、まもなくその害に気付き粛清し、再び政務に励み、後世の史家より明中興の祖と称されている。 弘治18年(1505年)に36歳で崩御した。偶々侵された風寒を太医が処方をあやまり、虎狼の薬を用いてしまい鼻血がとまらずそのまま危篤に陥ったという(太医は処刑されなかった)。大臣に一人っ子の東宮の
本来の表記は少帝辯です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 少帝辯(しょうてい べん)は、中国後漢の第13代皇帝。霊帝と何皇后の子。母の何太后と母方の伯父の何進(何太后の異母兄)により擁立され、幼年で即位したが在位期間は4か月余りであった。
少帝が成長してこの事実を知ると、呂后を恨むようになった。呂后が少帝の怨恨を知ると、後難を恐れた呂后は少帝を幽閉、重病であるとして廃位した。それから間もなく少帝は殺害された。 『史記』巻9 呂太后本紀 『漢書』巻3 高后紀 テレビドラマ 『劉邦の大風歌 -漢建国記-』(2009年、中国、演:丁沢恩)