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掘り起こして遺骨を高野山へ送り、辺りの土を加茂川へ流して京を退去したという。 平氏は8月中旬に九州に上陸するが、豊後国の臼杵氏、肥後国の菊池氏は形勢を観望して動かず、宇佐神宮との提携にも失敗するなど現地の情勢は厳しいものだった。特に豊後国は院近臣・難波頼輔の知行国であり、後白河法皇の命を受けた緒方
、たびたび将門に敗れて追われるさまが描かれている。 一方、『今昔物語集』にはそんな貞盛を武勇に優れた豪胆な人物としての一面と、自分の都合で他人を踏み躙る一面を持つ、両面性のある人物として描いている。 巻第二十九・本朝付悪行では、第五話平貞盛朝臣、法師ノ家ニ於テ盗人ヲ射取リシ語にて、陸奥から帰京の
る伊勢平氏譜代の有力家人である。平忠盛・平清盛の二代に渡って仕え、一ノ郎等といわれた。 平忠盛の側近として知られ、公卿らが殿上人になった忠盛を闇討ちにする計画を立てた際、殿上の小庭に武装して控えて未然に防いだという逸話がある。 忠盛の信頼は厚く、平氏の本領である伊賀鞆田荘の沙汰人となり、東大寺
ひょうもん(平文)に同じ。