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〔あわせの片ひらの意〕
1707年(宝永4年):富士山の大噴火による降灰で川筋が埋まり[要出典]、河口も下流へ移動[要出典]。 1732年(享保16年):このころ川幅と河身の改修工事が行われたとの記録もある。 1833年(天保4年)~1850年(嘉永3年):岡野新田が開発される。
現在の帷子ノ辻から西北西(嵯峨野の北西、奥嵯峨)に位置する化野(あだしの)は、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに古来の風葬の地、葬送の地として知られる。 檀林皇后の送葬の時、棺を覆った帷子(絹または麻糸で織った布、着物)がこの辻のあたりで風によって飛ばされ舞い落ちたことが地名の由来とする説。
湯帷子(ゆかたびら)は、平安時代に入浴の際に着用されていた和服の一種。麻の単衣で、浴衣の原型とされる。 入浴する際に着る肌着自体は、飛鳥時代から湯帳というものがあったことが確認されている。 平安時代、貴族は蒸し風呂に入ることが一般的で、浴槽につかる習慣がなかったため、やけど防止・汗とり・裸を隠すといった目的で湯帷子を着ていた。