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)および1673年(延宝元年)にはその法弟の櫟隠(れきいん)が諸堂宇を建設して、寺名も廣智禅寺(正式名: 優雲波羅華山観音廣智勝憧禅寺〈うどんばらげざんかんのんこうちしょうとうぜんじ〉)と改称した。 木造多臂観世音菩薩立像 - 高さ167.8センチメートル、カヤの一木造(いちぼくづくり)。腕が6本
『御検地日記』『諸納物日記』によれば三日市場は軒数26間半で、恵林寺に公事を納入する公事屋敷が14間であったという。九日市場は軒数21間半で、公事屋敷が16間と記している。「公事」は恵林寺の年中行事や仏事、月ごと・季節ごとに納入される公事物を指し、門前市の住民に納入が義務付けられ、恵林寺の寺院経済を支
高き顕祖長昌公のために禅寺一宇を建立し、長昌院と号した。正春がかねてより帰依していた天厳玄達大和尚も頼宣公の命により入紀し開山者となる。後に天子様の宝祚の長久、頼宣公の広厳無窮と天下泰平長昌を祈念するため寺号を広厳寺とし、長昌院広厳禅寺となる。 更に寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っている。