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にも乗れないので、朝氏と祐長はその名代であると説明している。 この軍は、少弐貞経・少弐頼尚親子の離反・合流により、鎮西探題北条英時を滅ぼし、大宰府を落とすに至った。その後も、度々出兵要請に応じて、天皇側に従った。 しかし建武3年(1336年)足利尊氏が後醍醐天皇に逆らう
を起こしてその地位を奪った下克上から統一までの混乱期。長定は、長祗の諸兄長唯(義滋)と長隆に倒されたが、さらにこの兄弟が争って、上村氏の支援を得た長唯が統一した。 ^ 買免とは、買戻すこと、または買い償うことの意味。具体的には質物や年季売などを指す。 ^ 「本主」とは土地を
良岑氏(よしみねうじ)は、良岑を氏の名とする氏族。 平安時代に創設された氏で、姓は朝臣である。桓武天皇と百済永継の間に生まれた良岑安世を始祖とする。 江戸時代に二本松藩主となった丹羽氏は良岑姓を自称した。 また尾張国丹羽郡前野村の土豪前野氏は、良岑高成の子良岑(前野)高長の系統である。 良岑安世(785年
戦国時代に菊池氏が大友氏に滅ぼされた後に菊池能運の子孫が日向国米良(宮崎県児湯郡西米良村)へ逃れたことをきっかけに米良氏を名のるようになったと伝えられる。江戸時代には交代寄合として家督相続ごとに江戸へ参勤交代して将軍に拝謁する義務を課された。無高だが5000石格で交代寄合四衆に準ずる格式を与えられていた。