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護摩堂(附:廊下) 鐘楼堂 中門(附:番所、築地塀2棟) (附:表門) 金地着色松図(襖8面、戸襖4面)12面 - 俵屋宗達筆。 着色杉戸絵(表獅子・裏波に麒麟図、表獅子・裏白象図)4枚(8面) - 俵屋宗達筆。 紙本金地著色唐獅子図(仏壇羽目板壁貼付)3面 - 狩野山楽筆。平成29年(2017年)3月31日指定。
崇源院(すうげんいん/そうげんいん)は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。近江の戦国大名浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘であるお市の方(織田信長の妹)。崇源院は院号であり、一般には江(ごう)か小督 (おごう)の名で知られるが、諱は達子(みちこ)で、追贈された贈位は従一位。 長姉の淀殿(茶々)、次姉の常高院(初)とで
方丈北庭龍吟庭(りょうぎんてい) - 方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、相阿弥の作庭という。中央の石組は須弥山を表し、青々とした杉苔は洋々たる大海を表している。 開祖堂 - 開祖・東渓禅師の塔所となっている一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、南北朝時代・鎌倉時代・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れた昭和の代表作である。
江戸時代の伊達藩政には、石巻と江戸を御穀船(千石船)が盛んに往来するようになり、乗船員の航海安全のため、八大竜王神を勧請奉安して祈祷の道場としても栄え、広壮優麗な七堂伽藍を誇り大いに隆盛した。しかし、第22世南浦玉英大和尚代の1871年(明治4年)10月10日白昼火災のため、七堂伽藍がすべて焼尽してしまった。