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家中諸事を悉く意のままに処理した。強引な改革によって山村瀬兵衛は、諸老臣から嫉視と怨嗟を持たれることになり、特に重臣の妻木郷左衛門は連署して瀬兵衛の恣横を訴えて対立し、遂に反対派30人が徒党を組んで、山村瀬兵衛の排除を画策した。氏音は瀬兵衛反対派から罪に処すべきとの詮議が求められたが容易ではなく、遅々として延遷して益々紛糾した。
8日、奏者番に就任する。文政10年(1827年)9月2日、父に先立って死去した。享年45。跡を長男の氏賢が継いだ。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。 父:丹羽氏福(1762-1843) 母:冬菊 - 細川興文の娘 正室:松平忠済の娘 生母不明の子女 長男:丹羽氏賢(1812-1854) 次男:丹羽氏謙
ある織田秀孝を誤殺し、織田信次が信長を恐れて守山より逃亡した際には、氏勝ら家臣団が守山城に立て篭もり織田信行の軍勢に抗戦した。 その後紆余曲折うよ きょくせつの末に織田信長に仕えたが、 天正8年(1580年)に氏勝は突如、信長によって追放されてしまった。 その子の丹羽氏次は、織田信雄の家臣時代を経て、
年)閏9月21日に死去した。享年82。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。 父:巨勢利永 母:久世広武の娘 養父:丹羽氏栄(1716-1771) 正室:冬菊 - 細川興文の娘 長男:丹羽氏昭(1783-1827) 次男:細川興祥(1787-1828) - 細川興徳の養子 生母不明の子女 三男:丹羽氏充 四男:森川俊朝