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している間に稚媛を奪ったためだと『日本書紀』巻第十四には記載されている。 朝廷は吉備田狭の子、弟君と吉備海部赤尾を討伐に向かわせ、同時に同じ朝鮮半島の百済から技術者を連れてくる任務も追加した。しかし、弟君は、現地では老女に化けた国神(くにつかみ)の言を信じ、新羅への道は遠いものと思い込んで進軍をた
備前・備中・備後・美作(ミマサカ)地方の古名。
姓氏の一。
ている。 神護景雲4年(770年)称徳天皇が崩じた際には、娘(または妹)の吉備由利を通じて天皇の意思を得る立場にあり、永手らと白壁王(後の光仁天皇)の立太子を実現した。『水鏡』など後世の史書や物語では、後継の天皇候補として文室浄三次いで文室大市を推したが敗れ、長生の弊、却りて