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き、穂井田忠友(平田篤胤に学んだ国学者)によって、まず紙背にある律令公文が注目された。穂井田は、元の戸籍・正税帳などの状態を復元すべく一部の文書を抜出して整理し、45巻(正集)にまとめた。正集は、閉封後も曝涼できるように手向山八幡宮前の校倉に収納されることになった。また、正集は写本として流布し
律令時代, 正税を収納した倉。 諸国・郡・郷や大寺院に設けられた。
日(太政官達第十号)に正院の名称が廃され、以後は単に太政官と称した。 正院にはまた、監部課、式部局、舎人局、雅楽局の三局が配属されたが、翌1872年(明治5年)には、舎人・雅楽局は廃止され式部局とともに式部寮に統合された。 ^ a b 菊山正明『明治国家の形成と司法制度』御茶の水書房、1993年。//books
穀倉院(こくそういん)は、民部省に属する畿内諸国の調銭、諸国の無主の位田・職田及び没官田、大宰府の稲等、諸荘の物品を納める穀倉及びそれを管理する役所。令外官のひとつで、唐名は諸倉監隷。大内裏内大学寮の西、朱雀大路の西、二条の南に所在した。 租庸調の正規手続き外の納税物を納めたものであり、供御の不足