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情を示し、大軍を引き連れて随身した常胤よりも上座に据えるなどの厚遇を施したという。 その後も源氏一門として遇され、文治元年(1185年)9月3日、頼朝が父義朝の遺骨を勝長寿院に埋葬した際、遺骨を運ぶ輿を頼隆と平賀義信が運び、頼隆・義信・惟義のみを御堂の中に参列させている。建久元年(1190年)10月
、後三条天皇は隆俊ら兄弟の有能さを認め重用している。 井澤長秀(肥後細川藩士、国学者、関口流抜刀術第三代)によって、『今昔物語』の作者とされたが(『考訂今昔物語』)、現在では否定説が有力である。なお、隆国は『宇治大納言物語』の作者ともされている。 父:源俊賢 母:藤原忠君の娘 妻:源経頼の娘 長男:源隆俊(1025-1075)
官職は不明だが、位階は六位、記録によっては信濃守と載せる。おそらくは平治の乱における藤原信頼の除目によるものと考えられる。信頼が逆臣とされたために、正規の人事として記録されなかった可能性もある。 父:源義家 母:不詳 妻:不詳 男子:毛利義広 男子:若槻頼隆 男子:高松定隆 ^
2月16日:兼修理権大夫、止近江介 天喜元年(1053年) 正月27日:兼伊予介 天喜4年(1056年) 2月3日:周防権介 天喜5年(1057年) 2月30日:周防権守 康平2年(1059年) 2月13日:参議、権大夫権守如元 康平4年(1061年) 正月6日:従三位(造宮追賞)。2月28日:兼備前権守。12月8日:兼右大弁