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こうした政敵への讒言や、武帝に対する阿諛追従のため、佞臣として忌み嫌われていたことが『晋書』に見られる。武帝の弟である斉王司馬攸もその一人で、中書監荀勗・侍中馮紞、皆自ら進み諂諛するに、攸、素より之を疾むとある。聡明で政治にも明るい司馬攸は、暗愚な太子の補佐、さらには武帝の後継に相応しい人物として、朝の内外を問わず期待を寄
常 勗(じょう ぎょく、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀の軍人・政治家。字は脩業。蜀郡江原県の人。祖父は常員、父は常高。叔父に常閎、弟に常廓、甥に常寬。『華陽国志』の著者・常璩は常寬の子孫。 若くして従兄弟の常忌と共に名を知られ、貧乏に安んじて、『毛詩』『尚書』を修め、多くの書物を通覧した。益州か
突厥系沙陀族の出身。沙陀族の長の李克用の長男として生まれた。 開平2年(908年)、李存勗は父が病没した後を受けて晋陽で晋王に即位した。 臨終に際して李克用は李存勗に対して3本の矢を与え、「わしが没した後に、3本の矢のうち最初の1本は幽州に割拠して燕王と自称した劉仁恭、もう1本は契丹の太祖
梅叔鸞の不意を突いた。梅叔鸞は捕らえられて陣中で斬られ、その党類は全て処刑された。死体を積み上げ、京観とした後、帰還する。 開元12年(724年)、五渓の首領である覃行璋が反乱を起こした。楊思勗は討伐の任にあたり、覃行璋を捕らえ、その党類3万人を殺した。軍功により輔国大将軍に昇進した。さらに、玄宗の封禅の時に従い、驃騎大将軍になる。