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今治藩(いまばりはん)は、伊予国北中部と島嶼を領有した藩。藩庁は今治城(現在の愛媛県今治市)。 慶長5年(1600年)、豊臣時代に伊予国板島(後の宇和島市)で7万石を領有していた藤堂高虎は、関ヶ原の戦いの戦功により20万石に加増された。同時に今治市内にあった国分山城に移り今治
奏者番〕 代官鈴木八右衛門・鳥山牛之助による支配 井伊兵部少輔直好 増山弾正少弼正利〔奏者番・詰衆〕 増山兵部少輔正弥 土井兵庫頭利長〔奏者番〕 土井伊予守利意〔奏者番・寺社奉行〕 土井淡路守利庸 土井大隅守利信 三浦主計頭義理〔奏者番・寺社奉行〕 三浦志摩守明次 松平和泉守乗祐〔奏者番・寺社奉行・大坂城代〕
蔵はじめ16家1党に将軍の朱印状をもって与えられた知行地)5万石を加増され61万9500石の知行高が確定した。 領域は尾張のほぼ一国のほか、美濃・三河・信濃(木曽郡のヒノキ御用林)・近江・摂津と広範囲に跨って飛地が存在した。 中でも木曽の御用林から得られる木材資源は藩財政の安定に寄与する重要なもの
郡内に移封となった。資美は同年7月に武射郡柴山村の観音教寺に仮藩庁を設置し、これにより柴山藩が立藩した。所領は5万3350石である。 翌明治2年(1869年)6月、版籍奉還をうけて知藩事に任命されると、それまで寺に間借りをしていた仮藩庁の地であった柴山から、新たに新藩庁の地として武射郡大堤、田