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。本丸の規模は東西145m・南北160m、二の丸は東西312m・南北300mでほぼ方形をなすが、三の丸の堀跡は北側は柏川に沿い、南側は現在明確には跡づけることが出来ない。二の丸・三の丸の南西角、同じく三の丸北西角に土塁跡が認められ、本丸北東にも戦後まで土塁跡があった。一の堀は堀幅20m前後と広いが直
鮭延荘に佐々木貞綱を遣わし、佐々木氏は地名に倣って鮭延氏と称する。鮭延城は小野寺氏の南の拠点として、最上北部の領国経営を行うこととなった。 1581年(天正9年)、鮭延城は最上義光によって攻められ、城主であった鮭延貞綱の子・鮭
駅 北延岡駅 - 延岡駅 - 南延岡駅 高千穂鉄道 高千穂線 延岡駅 - 西延岡駅 [脚注の使い方] ^ a b c d e f g 『週刊 JR全駅・全車両基地』 44号 宮崎駅・都城駅・志布志駅ほか80駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年6月23日、22頁。 ^ a b c “延岡駅|JR九州
、元種は県城(延岡城)を築城して松尾城より移り、以後明治維新までこの城が藩政の中心となった。慶長18年(1613年)、幕府の罪人水間勘兵衛を高千穂に匿ったとして改易処分となり、陸奥棚倉藩主・立花宗茂預かりとなった。 慶長19年(1614年)、肥前国日野江藩より有馬直純が5万3000石で入封した。