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ており、塩見の丘に歌碑が建てられている。また、奈良県の平城宮からは参河国播豆郡篠嶋海部供奉五月料御贄佐米楚割六斤と書かれた木簡が出土しており、奈良時代からサメ・タイ・スズキ・赤魚などの楚割(すわやり、魚介類の保存食)を献上していた。 篠島は伊勢国・志摩国と東国を結ぶ海上交通の要衝であり、南北朝
部は一之江村、鹿本村に編入)が合併して発足。 1932年(昭和7年)10月1日 - 南葛飾郡全域が東京市に編入。篠崎村の区域は江戸川区となる。 上篠崎、北篠崎、篠崎町、下篠崎町、東篠崎、東篠崎町、南篠崎町(いずれも大体の範囲。西篠崎は旧鹿本村) 東京都の廃止市町村一覧 南葛飾郡 江戸川区 表示 編集
篠路村(しのろむら)は、かつて北海道札幌郡に存在した村である。現在の札幌市北区の一部、東区の一部にあたる。 江戸時代、篠路村付近では松前藩によって家臣の知行地として石狩十三場所のうちハッシャブ場所とシノロ場所が開かれていた。 1855年(安政2年) - 篠路神社の前身の若宮八幡が創建される。同4年
新篠津村(しんしのつむら)は、北海道石狩振興局管内北部にある村。 シノツはアイヌ語のシンノツ(山の崎)、あるいはシノット(河の集まる豊かなところ)に由来すると考えられている。 篠津屯田兵村(現在の江別市篠津)から分村して独立する際、地元から提出された新村の名称は「東篠津村」であったが、道庁の意向で新篠津村に変更された。