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南斉書/巻第四 本紀第四 鬱林王 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 南史/巻五 斉本紀下第五 蕭 昭業(しょう しょうぎょう)は、南朝斉(南斉)の第3代皇帝。第2代皇帝武帝の孫。南朝斉の3人の廃帝の一人で諡号や廟号はなく、死後の王号から鬱林王と史称される。
さらに涪城を攻め落した。そして自ら益州牧を自称し、遂に巴西を占拠しながら漢中へも進んだ。桓温は督護鄧遐・益州刺史周撫に討伐を命じたが、彼らはこれを撃ち破る事が出来ずに撤退した。 永和8年(352年)2月、桓温は梁州刺史司馬勲を派遣し、周撫らを援護して共に蕭敬文を討つよう命じた。司馬勲らが到来すると、
蕭文妃(しょうぶんひ、? - 1121年)は、遼の天祚帝(耶律延禧)の妃。小字は瑟瑟。 国舅大父房の末裔にあたる。乾統初年、天祚帝が耶律撻葛里(文妃の姉の夫)の屋敷に行幸したときに見出されて、宮中に数カ月のあいだ隠された。皇太叔の耶律和魯斡が天祚帝に婚姻を勧めたため、正式に宮中に入った。乾統3年(1
風雨・落葉などの音のものさびしいさま。