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〔後漢書(崔駰伝)より。 「跋」は踏む意。 「扈」は魚をとる竹籠。 魚が籠にはいらず, おどりはねることから〕
馮 跋(ふう ばつ)は、五胡十六国時代の北燕の第2代天王。 漢族出身の後燕の将軍であったが、慕容熙を殺害して高句麗出身の慕容雲(高雲)を擁立し、北燕を立てた。慕容雲が近臣に殺された後、馮跋が北燕の天王の位についた。南朝宋へ入朝した。 漢人で、晋の長楽郡信都県の出身。永嘉の乱が起きると祖父の馮
道武帝と賀夫人(献明賀皇后の妹)のあいだの子として生まれた。403年、清河王に封ぜられた。拓跋紹は素行が悪く、教誨に従わず、遊里や巷間で遊び歩き、道行く人から物を奪い、犬や豚に弓を射かけるなど、ふざけまわっていた。409年10月、道武帝が怒って賀夫人を譴責し、賀夫人を宮殿に幽閉し、殺してしまおうとした。賀夫人がひそかに拓跋紹の助けを
拓跋 綽(たくばつ しゃく、拼音:Tuòbá Chuò、? - 293年)は、鮮卑拓跋部の大人(たいじん:部族長)。拓跋力微の子。兄弟に拓跋沙漠汗・拓跋悉鹿・拓跋禄官がいる。北魏の道武帝により平皇帝と追尊された。 286年、兄の拓跋悉鹿が死ぬと、拓跋綽が後を継いで大人となった。雄武で智略があり、威徳を複数挙げた。