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寺621坊中の一寺で、康平6年(1063年)6月に覚円が同寺中の金堂裏に開基した。永治元年(1141年)、延暦寺山徒によって園城寺が炎上した際、法禅院大信房遁れてその本尊聖観世音像を鈴鹿山北麓の飯道に移したが、正平6年/観応2年(1351年)に義然が源義仲の墓地にある義仲庵に移して安置し、のちまもな
用いて10点を復元。2012年には、第18代尚育王の御後絵が東京芸術大学により復元された。 平成26年(2014年)10月には、沖縄戦で焼失した仏殿什器の一部で行方が分からなかったとされる2つの牌(はい)が沖縄県立博物館・美術館内に保管されていたことが14日に明らかとなり、文化財の美術工芸品のクラスの貴重な資料となる。
鎌田茂雄によれば、圭峰宗密は前後10回に亘って『円覚経』を註疏している。『円覚経大疏』3巻、『円覚経大疏科文』1巻、『円覚経大疏釈義鈔』13巻、『円覚経略疏』4巻、『円覚経略疏科』2巻、『円覚経略疏鈔』12巻、『円覚経纂要』2巻、『円覚経道場修証儀』18巻、『円覚経道場六時礼』1巻、『円覚経礼懺略本』4巻である。(『宗密教学の思想史的研究-中国華厳思想史の研究第二-』
覚海円成(かくかいえんじょう、生年未詳 - 康永4年/興国6年8月12日(1345年9月9日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての女性。安達氏の一族で安達(大室)泰宗の娘。鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室。北条氏最後の得宗、北条高時の母。子は他に泰家など。覚海円成