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後代には、丈部氏から阿倍臣を賜姓される例も見られる。 769年(神護景雲3年)、称徳天皇の時代に陸奧大国造の道嶋宿禰嶋足の申請により、無姓の子老(こおゆ)・国益(くにます)・賀例努(かれの)が阿倍陸奧臣を賜姓される。 同年、同じく道嶋宿禰嶋足の申請により、丈部直継足(はせつかべ の あたい
建弥己己命(天穂日命の曾孫・高皇産霊尊の5世孫)、押瞻命がいる。 平安時代の末裔として、以下の人物が見える。 上県郡擬主帳卜部川知麻呂 下県郡擬大領直浦主 下県郡擬大領直氏成 上県郡擬少領直仁徳 『新撰亀相記』によれば、上県郡に直氏と卜部氏、下県郡に直氏と卜部氏と夜良直氏がおり、上下の直氏を国造としている。
増され、伊勢国上野藩2万石となる。元和5年(1619年)の光信の代に近江国大溝藩に転封となり、以降廃藩置県まで転封・加増・減封なく外様小藩として続いた。 最後の藩主光貞は、明治2年(1869年)3月4日に版籍奉還で大溝藩知事に任じられた。また同年6月17日の行政官達で公家と大名家が統合さ
山家の系譜には採るべきものあるにや、殊に、伝来の様も今少しく古かるべし。岡島・小野両家は恐らくご下問の折、卒然綴り合わせたるものならんと想像す。かの鈴木が手を出したという時代など思い合わすべし。細矢康雄は何の心もつかざるか。蓋し、意ありてこの贋物を信用せるか。聊かも疑うべからず。 原典 ^