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かねずみ)は、平安時代中期の貴族・歌人。初名は兼隆。光孝源氏、右大弁・源公忠の孫。鎮守府将軍・源信孝の子。 東宮・師貞親王(のち花山天皇)の東宮帯刀を務める。 一条朝にて陪膳を務め、永延2年(988年)には六位蔵人に左衛門尉検非違使尉を帯びていた。式部丞を経て、永延3年(989年)従五位下に叙爵する。のち、若狭守・加賀守
京中で騒ぎとなるが、『玉葉』に見えているこの記事の中で頼兼は九条院の非蔵人を務め五位となっていたことが確認でき、また頼兼の党等類が「美乃源氏頼光末葉」と称されていたことが記されている(同書同年6月29日条)。治承4年(1180年)5月の以仁王の挙兵における動向は詳らかでなく、寿永2年(1183年
源 兼昌(みなもと の かねまさ)は、平安時代後期の貴族・歌人。宇多源氏、美濃介・源俊輔の子。官位は従五位下・皇后宮少進。 官位には恵まれず従五位下・皇后宮少進に至るが、その後出家。没年については不詳であるが大治3年(1128年)頃には生存していたようである。康和2年(1100年)の国信卿家歌合以下
伊予守の任期が満了して京に戻ると、伊予の諸郡の郡吏らが上洛して、兼資の治能をもって重任を請ったという。伊予守在任中に左馬権頭を兼ねている。 長保4年(1002年)7月の末から寝食が通常を失い、左馬権頭の辞職を請って許される。8月6日の辰刻に出家し、同日の巳刻に卒去。享年43。最終官位は前左馬権頭正四位下。