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岡崎宿(おかざきしゅく、おかざきじゅく)は、東海道五十三次の38番目の宿場である。現在の愛知県岡崎市中心部。詳しくは岡崎市を参照。 石高は五万石しかなくとも徳川幕府の下では神君生誕の三河国岡崎城(築城は三河西郷氏の西郷稠頼)の城下町を背景に宿場町の規模も駿河国府中宿(静岡県静岡市葵区)に次いで大きかった。
設置後には伝馬を務める農民の負担ばかりでなく、問屋場が破産に追い込まれるなどの窮状に陥り、1632年(寛永9年)には、宿役人が幕府へ川崎宿の廃止を訴える事態となった。幕府は問屋場などへの支援を行ったものの、廃止の願いが受け入れられることはなく、さらには伝馬の負担引き上げ、地震や富士山の噴火などで財政は困窮を極めた。
高宮宿(たかみやしゅく、たかみやじゅく)は、近江国犬上郡にあった中山道の64番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市高宮町。 天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、高宮宿の宿内家数は835軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒で宿内人口は3,560人であった。多賀大社への最寄りの宿場で
伝馬役は保高町が24軒、等々力町が35軒であった。次第に豊かな宿場町として発展する一方で、文政8年12月(1826年1月)の赤蓑騒動では大庄屋、穀屋、肴屋、油屋などの商家が打ちこわしに遭い、明治2年(1869年)に発生した世直し一揆の会田・麻績騒動でも同様の被害に遭っている。 長野自動車道 安曇野インターチェンジ