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^ a b 一、土藩乾市郎平令面會候處、過日申入置候「大樹上坂周旋、斷(ことわり)之旨申上置候而「大樹上坂之周旋者(は)、余程(よほど)六ツヶ敷(むずかしく)存(じ)候に付、相斷(あいことわり)之旨也。尤(もっとも)之儀也。但、此儀「予(朝彦親王)より會藩え申入クレ候様
た。 ある時、家老は、吸江湾の眺めを一望できるよう2階建ての楼閣を立てたが、たまたま乾家の隅に老いた松の大木があって、眺めを遮っていたため、家老は乾家に使者を出して枝の剪定を依頼した。 正聰は仰せの次第、御尤(ごもっと)もに存ず。彼の松は、平素、拙者(それがし)の愛撫する処なれど、老職た
1660年1月28日(万治2年12月16日)、慶安の変で嫌疑をかけられ約10年間、江戸に留まっていた紀伊和歌山藩の藩祖徳川頼宣が御国(紀伊)へ国入りする際に、山内忠豊から使者を仰せ付けられ、役目を果たし1月28日(旧暦12月28日)に土佐に帰藩した。
浄光院圓室妙鏡大姉 継妻:高屋繁次長容の伯母 二男:乾久馬(1845年(弘化2年) - 1850年1月26日(嘉永2年12月14日)) 長女:実名未詳(1823年(文政6年) - 1864年8月4日(元治元年7月3日)) 智祥院玉室妙蓮大姉 二女:高屋長豪の妻 三女:日野(寺村)軍馬成雄の妻、日野次郎三成文の母